ALOHA!ハートバランス・コラム
EP04 日本帰国~アメリカの大学へ留学
カナダ一ヶ月留学から帰り、夏休みが終わり東京の大学生活に戻ったのが2001年。
バンクーバーで思った様に英語の上達もできたので、大学3年生の時にアメリカへの留学の準備を開始し始めました。
学習院大学の交換留学プログラムに申請し、ノースキャロライナの大学に一年間の交換留学生として渡米しよう、と思っていましたがその年の申請者が多く、
残念ながらチャンスは回って来そうも無いので、大学を通さず自分で探し申請する事にした。
場所はやっぱり日本に近い西海岸。カリフォルニアを希望。私立は高いので州立。
ロングビーチや南カリフォルニアもいいな、と思ったけれど値段が高い事とパーティスクールというイメージがあったのでやっぱり北カリフォルニア。
ということで決定したのが“カリフォルニア州立大学”です。California State University, Ease Bay (元Hayward)
無事TOEFLの点数も達し、書類も通り、外国人留学生カリキュラム(ESL) を通す事なく直接大学に見事合格できました。 しかしそのおかげで基礎クラスを取らずにいきなりハイレベルなクラスを取ることになり、クラスのアメリカ人に追いつくのにかなり苦労しました。(笑)
学習院大学には1年の休学届けを出し、一年遅れで卒業をする予定でした。でも、本当は心の奥底で「私は日本に帰ってこないんじゃないか」と実は少し気付いていました。
休学届けを出して、また帰ってこれるようにしておいたのは保険みたいなもので、本当はアメリカの大学を卒業してアメリカで働いてみたい。
願望というか、そうなるだろうなという意識が心のどこかであったような気がします。
…あの時はまだ潜在意識の凄さには気付いていませんでした。
アメリカの大学へ行きたいと言う私の願望を経済的にサポートし、実現させてくれ、なおかつ日本の大学に在籍を残すという保険まで与えてくれた両親には今でも本当に感謝しています。 常に精神的な両親のサポートがあったからこそ、いつも自信を持って自分の決断を信じ、行動していけたのだと思っています。
そして多くのかけがえのない友人。私の決断と将来を絶対的に信じてくれ、マキなら絶対に大丈夫、と常に太鼓判を押してくれた友人達。 私の人生は素晴らしい家族と友人あってこそだと、心の底から思っています。遠くにいても彼らは皆、私の人生の糧、元気の糧、幸せの糧です。
…この事は絶対に忘れません。
こうして2002年9月23日に友人に見送られて成田空港を後にしました。
この時はまだアメリカで何が待っているのかなんて予想だにしていませんでした。